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Monday, November 21, 2022

PONYと親父さん③

event_noteNovember 21, 2022 editBy PONY'STOY
遺影写真。。。

肺炎で入院した親父さんは入院時、先生との会話の中で、しっかり治す為にも二週間位掛かります。二週間は嫌だなあ〜と話していた。

救急車で運ばれた後、意識もしっかりしていて先生との会話も問題なく、しっかりと力強く話していた。

レントゲンやらCTやら検査を済ませて「リンゴジュースが飲みたい」と。病院の通路にある自販機で買ってあげて、勢いよくジュースを飲む。「あー美味しい」その後、口座の暗証番号などを俺に教えて入院の準備へ。

月曜から火曜へ続く日。
今思えば、力強く話す会話を聞いたのは、これが最後だった。手続きを終えて帰宅したのは朝方の5:00だったと思う。

帰宅後、起きた後で火曜の休みを使い病院へ荷物を届けた。

水曜から、母と二人ポニーが始まる不安を考えつつ母と夕食を食べた。

約、二週間位の入院。
出来たら早く帰ってきて欲しい。
母と同じ気持ちでいて明日から始まるポニー
役割り分担など話し、早めに就寝。

入院後、一週間位だったか?!
親父さんから公衆電話で母へ電話を掛けてきた。

テレビカード、ポカリ、濃いお茶。
リクエストが多い。
これが母との最後の会話となる。

すっかり元気になったんだと少し落ち着いた。
中休みに病院へ届けた。

その次の日辺りからか?体調が悪くなり始める。

もともと肺気腫だった親父さん。その肺を調べた結果、通常の人より7割はダメージがあって3割程度で生活していたことが判明した。

登山で高い山の頂上付近、呼吸が荒くなる症状を想像したら分かると思うが、その呼吸状態で日々の生活を送っていた訳だ。

アスリートが行う高所トレーニング。
それを日々の生活の中で繰り返し、自分は健康なんだと思っていたのだろう。

そこへきて、今回の肺炎。。。
呼吸は更に辛く、気管に詰まりそうになる痰を毎日、出すこと。5箱のティッシュもあっという間に無くなるのも納得だった。

更に悪い条件が重なる病状に平常心で居られなくなる日が続く。

ここからの毎日は、良くなったり、悪くなったりを繰り返し、症状は横ばいが続いた。

先生から連絡が入り、週一回の面談が毎週、月曜に決まる。初めての面談で人工呼吸の話が出た。

口に管を入れる。
一番親父さんが嫌がるはずだから、先生の治療を承認した俺は何とも言えない気持ちで病院から帰った。

2回目の面談。
調子が良く、肺炎の数値も下がり始めたと先生から言われ、早ければ明日にでも人工呼吸器を外すと。

親父さんの妹も同席していたので安堵の表情を見せ、二人で良かったと家に帰った。

本当に治るんだろうか?と一人で考える時間が増えていた俺は、今やらなくて良いんだよと自分に言い聞かせながら誰も居ない閉店後のポニーで親父さんが写っている写真を探していた。

遺影写真。そう言うわけでは無かった。

ただ親父さんが元気にピースサインしてたりサムズアップしてる写真を見て早く元気になって、もう一度ポニーで一緒に働こうと、あまりにも少ない親父さんの写真へ話して、これからの不安を消していたと思う。

あの時見つけた写真の中から遺影写真を選ぶ時が来ること。この時には想像もしていなかった。

親父さんが文通しているYちゃんが久しぶりに菊川へ来た時。俺が自撮りで親父さんと由美ちゃん母と撮った写真です。

これが遺影写真です。

CHK!!!

ほんと親父さんらしい穏やかな表情でね。
少しだけ後方から入っている、この写真でも分かる様に決して前面に出る人では無かった。

どこか裏方に徹していて、でもお客様が大好きで。みんなが楽しそうにしている時間、時には自分も顔を出して昔話を永遠に話したり。お菓子を持ってきたり煎餅も多かったかな。

そう言う意味で、慣れるとフレンドリーで飾らない親父さんをみんなも大好きだったと思う。

この写真に写っているYちゃんへ、まだ親父さんの訃報を伝えていません。なぜなら連絡先がわからないんです。

早く伝えたいんですが今は、伝える術がないです。

手紙を見つけたけど中を見ていないです。
どこかで菊川へ戻ってきてくれたら必ずポニーに寄るはず。その時に辛いけど伝えようと思っています。




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